2019 ウズベキスタン 4日目(サマルカンド〜ブハラ)
4日目
レストラン前の歩道で炭火でプロフを作っているおじさんがいたので、写真を撮らせてもらう。
Google MapでCentral Parkと記されていた公園。
よく整備されていてゴミも落ちていないし、たくさんの花が植えられている。
この公園でも「サマルカンドはどうですか?」と現地の青年に話しかけられたが、今回の旅ではたくさんの人に声をかけられた
異国、特に所得が高くない国で突然話しかけられると「良い絨毯屋があるから行こう」「案内するよ(有料で)」等に繋がることが多いのでどうしても身構えてしまうが、ここの人は国・町の印象や食べ物の感想を訊いて「良い旅を!」と去って行く。
この青年も「大学で心理学を勉強しています」と言って去って行った。
11:40
ホテルでピックアップ、10分ほどでサマルカンド駅に到着。
お土産屋やレストランがあった。ATMもあったが、VISA・Master等のマークがなく使えず。
エアコンが効かず車内が暑すぎて乗務員に聞いてみると、「ちょっと待ってね」と言って去って数分後、冷たい風が出てきたではないか。エアコン入れ忘れ?しばらくして駅で止まるとまたエアコンが止まってしまった。
駅前にあったSIM販売のブース。ブハラは旧市街でもこのようなブースがあった。
17:00
一休みして散策へ。
ブハラの旧市街の多くは車の乗り入れが禁止されているようで、とても歩きやすい。
アブドゥルアジス・ハン・メドレセ
入り口のムカルナス が建物の左側のタイルがないのはなぜだろう?
ムカルナス部分に赤や黄色が入っていたり、小窓部分にも小さなムカルナス が入っている。凝ってるな〜。
正面向かいのウルグベク・メドレセ。1418年にウルグベクによって作られた作られた中央アジア最古のメドレセ。
中には入れなかった。
カラーン・ミナレットは1127年に建てられた。
ブハラは13世紀にチンギス・ハーンにより破壊され廃墟となったが、ミナレットは壊されなかったそうだ。
カラーン・モスクは約400年後の1514年に建てられたそうだが、とても一体感がある。
中は翌日に見学する。
その向かいにミル・アラブ・メドレセ。1536年建造。今でも神学校として使われており、中には入れなかった。
その他のカラーン・ミナレットとカラーン・モスクの写真は別ページで ⇒カラーン・ミナレットとカラーン・モスク(ブハラ)
18:00
いったんホテルに戻り、休憩。
陰影がすごい!
ガイドブックによると、レンガを異なる積み方で積むことで模様を出しているそうだ。
広場の向かいに、ミナレットが眺めの良さそうなレストランがあった。
その他のカラーン・ミナレットとカラーン・モスクの写真は別ページで ⇒カラーン・ミナレットとカラーン・モスク(ブハラ)
20:30
ラビハウズ周辺に戻り、夕食。
ハウズとは池のことらしい。
21:30
ホテルに戻る前にラビハウズ 周辺を散策。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの鳳凰と顔のある太陽。
人面太陽はサマルカンドのレギスタン広場シェルドル・メドレセ(1636年に完成)にも描かれていたが、1622年に建てられたこちらの方が早いということか。
ちゃんと英語表記を選択でき、約5千円分ほどおろす。
レシートを見ると、ドル表記が$5,000ほどになっていてびびる。(後日カード会社の明細を確認すると、約5千円で問題なかった。)
22:00
ホテルに戻る。
5日目に続きます。