2016 チベット&中国 2〜3日目(青蔵鉄道でラサへ)
2日目の青海省観光のあとは、青蔵鉄道でチベットのラサへ移動。
青蔵鉄道とは(コトバンク/ブリタニカ)より抜粋:
中国のチンハイ(青海)省とチベット自治区を結ぶ鉄道。2006年7月,シーニン (西寧) 特別市―ラサ (拉薩) 特別市間の約 2000kmが開通。2014年8月,ラサからシガツェ(日喀則)市までの 253kmが延伸された。平均標高 4000mのチベット高原を通り,最高地点は標高 5072mのタンラ(唐古拉)峠。
私のこれまで行ったいちばん高い場所は4205mのマウナケア(ハワイ島)。今回はさらに高いところを通ることになる。
2日目夜
20:20
西寧駅でガイドとお別れ。
駅は空港のような雰囲気。清潔。
2階にはレストランがいくつもあった。
コインロッカーも。
今回頼んだ旅行代理店の標準プランは硬臥(二等寝台)だったのだが、軟臥(一等寝台)にアップグレートした。なぜなら、一等は2段ベッドの4人部屋、二等は3段ベッドの6人部屋だからだ。
日本人2人 vs. 中国人2人でも負けるのに、対中国人4人では22時間もたないと思ったからだ。さらに3段ベッドは日中畳む必要があり、具合が悪くても寝転がれないからだ。
お金はかかるが仕方あるまい、と代理店に依頼すると、そもそも人気路線のため正規料金ではチケットが押さえられない上、一等寝台は旅行直前まで確保できるか約束できないという。急に政府要人等が列車に乗ることになると、一等寝台は取り上げられてしまう、というような説明だった。
ここで先ほど別れたガイドから購入した高山病の漢方薬を飲む。
21:35
西寧を出発。
既に同室のお客さんが乗っていたので写真が撮れなかったが、一等でもあまり広くない。
50代くらいに見える割と静かめな中国人のご夫婦だったが、私たちがまったく中国語ができないので、会話にならなかった。
外は暗くて何も見えない。
07:15
起きたらまだ薄暗い。
07:30
太陽が出てきた。
そろそろ起きようかと思ったが、だるいし食欲もない。
09:00
どこか駅のようなところに停まったが、どこかわからず。
食堂車を楽しみにしていたのだが、食欲ゼロのため、持ってきたリンゴをかじって寝転がりながら、窓の外の景色を見る。
雄大な景色を堪能するほどの元気がなかったのが残念!
13:00
ふと目覚めて外を見たら雪景色。そして吐き気。
高山病のいちばんの症状は割れるような頭痛だと思っていたが、頭痛はまったくなく、私は吐き気、ダンナは吐き気と下痢に襲われた。日本でわざわざ処方してもらっていた高山病の薬(ダイアモックス)と漢方薬が効いたのか効かなかったのかもわからない。
同室の中国人ご夫妻が「食べなきゃだめだよ〜」と言いたげな顔で果物とお菓子をくれたが、なかなか食べられず。
そのうち奥さんの方もダウンし、コンパートメントの4人中3人が寝転がっている状態になった。旦那さんの方は元気そうで、カップラーメンを食べたりしていた。
14:30
17:00
まだまだ布団の中で死んでいる私(右)。
車窓から雄大な景色を眺めながらお茶を飲み、列車内を散歩し、食堂車を楽しみ、他の乗客とコミュニケートする、などという目論見は空想に終わった…。
19:30
ようやくラサ駅に到着。同室のご夫婦と健闘を讃えあう。
高山病で力が出ず、ゆっくり改札へ。
駅を出て右にチベット入境手続きをする事務所があり、そこでチェックを受け、ようやく迎えのガイドさんと合流し、ホテルへ。
20:30
ホテル着。
ガイドに身体の状況を説明すると、高山病の医者を呼んできてくれ、酸素の吸入と点滴。
色がちょっと怖い薬。何の薬なのか確認する元気もなく、この日は就寝。
高山病についてのメモは別途こちらにまとめます。