2016 チベット&中国 4日目
4日目
08:30
昨夜はラサのホテルについて高山病の治療を受けて寝てしまったため気づかなかったが、朝になってカーテンを開けたらものすごい景色が!
ホテルの裏手は集合住宅と向かい合っていて、チベット人の奥さんがカーペットをブラシで洗っている!
子猫もいる。定期的に水を使う音が聞こえてくる。
あまりにも気になるので裏手に回ってみたら
猫がいた小屋の前が水汲み場になっていた。
09:00
あまり食欲はないが、朝食会場へ。中華っぽいビュッフェだった。
ホテルのロビー。
11:50
ダンナはまだ具合が悪そうだが、ガイドに心配されながら目的地へ。
そう、今日はダンナが夢にまで見たポタラ宮の見学の日。予約で時間が決まっているため、重い身体を引きずってでも見学するとのこと。
ポタラ宮のまわりで五体投地する家族。
伝統衣装のかわいい女の子と五体投地する女性がいたが、
チップを貰っていたので、もしかしたら良い商売でもあるのかもしれない。
12:10
ポタラ宮は歴代のダライ・ラマの住まいでもあり、宗教や政治の拠点でもあり、霊廟でもある。
スマホでポタラ宮を撮影中のお坊さん。
まずは300段の階段を登るところから。
だいぶ登ってきた。
壁の一部は藁と土を塗り固めて作ってあるようだ。
12:40
売店で買った縁起の良さそうな水。ここから時間制限のある建物内の見学開始。撮影禁止。
決められたルートで部屋をまわり、約1時間で出口へ。
ポタラ宮には1000以上の部屋があるようだが、決められたルートで決められた部屋を回っていく。
どの部屋も基本的に薄暗く、金や宝石で装飾された霊廟などがバターランプの光でゆらゆら照らされている。ヤクのバターだからか、独特の匂いが印象に残った。
ポタラ宮は山と合体したような作りで高いところにあるため、遠くまで見渡せた。ラサは思った以上に都会。
ダライ・ラマも同じ景色を眺めたのかな〜と一瞬思いにふけったが、ダライ・ラマ14世は1959年にチベットを脱出して亡命しているので、都会化したこの景色は見ていないのかもしれない。
14:00
レストランで昼食。私はヤク肉のハンバーグ。噛みごたえがあり、美味しい。
ダンナは食欲がないので、なんとな食べられそうな水餃子をオーダーするが、半分も食べられず、私がいただく。
14:50
セラ寺の入り口。
全体像が描かれたチケット。
こちらは建物内は撮影禁止。
15:00
この時間に来たのは、セラ寺では毎日15時から中庭で問答修行が行われるからだ。
「さあ始めるぞ〜」といってそうな年配の僧。
同じくらいの世代の僧がペアを組み、質問者は立って大きく手を広げ、
手をパンッと叩き、質問を投げると、座っている方の僧が答えているようだが、チベット語なので何を質問しているのかわからない。
けっこう楽しそう。
上の少年僧たちに比べ、大人の僧の問答は迫力がある。
旅行前に、1901年に日本人で初めてチベットに入りこの寺で修行した川口慧海の『チベット旅行記』を読み、その中で問答についての記述があり、気になっていたのだが、実際に見ることができ感動した。
青空文庫となっている『チベット旅行記』の【第六十八回 問答修業】の前後から抜粋:
するとそこには十四、五の子供から四、五十歳までの僧侶が居って問答を稽古しますので、その問答は我が国の禅宗のような遣り方とは全く違って居るです。それは余程面白い。また非常に活発である。甚だしきは他から見ますとほとんど彼は喧嘩をして居るのではなかろうかと見らるる程一生懸命にやって居るです。
その問答の遣り方の面白さ及び力の入れ方、声の発動、調子、様子というものがどうも実に面白い。まずどういう風になって居るかと言うに、答者こたえては図面にあるごとくに坐って居る。すると問者といての方は立ち上って数珠じゅずを左の手に持ちしずしずと歩んで答者こたえての前に立ちます。そうして手を上下向い合せに拡げ大きな声でチー、チー、タワ、チョェ、チャンと言ってぽんと一つ手を拍うちます。そのチー、チー、タワ、チョェ、チャンというのは(〔はじめのチーは〕)文珠菩薩もんじゅぼさつの心という〔種字〕真言しんごんなんです。すなわち文珠の本体である智慧ちえの開けんことを祈るという意味で、始めにかような言葉を発して、それからチー、タワ、チョェ、チャンというのは、このごときの法においてという意味で、すなわち宇宙間如実うちゅうかんにょじつの真法において論ずというので、それから問答を始めるです。
その問答は因明いんみょうの論理学の遣り方であって因明論理の法則により、まず始めに仏というものは人なるべしと言うて問いかけると、答者こたえてはそうであるとか、そうでないとか答える。もしそうだと言えば一歩を進めて「しからば仏は生死をまぬかれざるべし」となじる。そこで答えて「仏は生死をまぬかれたり」と答えると、問者といては「仏は生死をまぬかれず。何となれば仏は人なるがゆえに、人は生死をまぬかれざるがゆえに、汝は爾しかく言いしがゆえに」と畳みかけて問い詰めるので、そこで答者こたえてが遣手やりてでありますと「仏は人にして生死をまぬかれたり。仏の生死は仮りに生死を示現したり」などと言うて、仏に法身ほっしん報身ほうしん化身けしんの三種のあることを解するようになるのです。またもしそうでないと答えると、いやインドの釈迦牟尼仏しゃかむにぶつは確かに人であった、これはどうであるかというようにどこまでもなじって行く。どっちへ答えてもなじるようにしてだんだん問答を進めますので、その問い方と答え方の活発なる事は真にいわゆる懦夫だふを起たたしむるの概があるです。
ちなみに、問答はカメラでの撮影が禁止で、スマホでの撮影はOKという謎ルールだった。
16:30
ホテルで30分ほど休憩し、散策へ。
チベットでは栽培できないであろう果物
ヤクの肉を売る店
細い路地を抜け、広い通りに出た。人がたくさんいる。
たどり着いたのはジョカン(大昭寺)。7世紀に建立された古いお寺。
入り口では熱心に五体投地を繰り返す人々が。
ここも建物内は撮影禁止だが、
テラスからは素晴らしい眺め。中央の奥に
ポタラ宮が見える。遠くから見ても巨大だ。
このキャラクターが気になりすぎる。
ジョカンを中心にぐるっと1周できるバルコル(八角街)と呼ばれる商店街があり、マニ車を回しながら歩いている人がたくさんいる。
18:00
ダンナの体力温存のため夕食は断りホテルに戻る。
19:15
ひとりでホテルのまわりを散策。
19:30
15分で暗くなってしまったため、近くのコンビニのような商店で水やお菓子、カップラーメン、バナナ等、ダンナが食べられそうなものを買って帰る。
早々に寝る。