2017 中欧 7〜9日目(ワルシャワ)
7日目
15:30
クラクフを出発、
19:00
ワルシャワ中央駅に到着。
駅で地図を広げていたら、モデルのような女性に「どこへ行くの?」と英語で話しかけられ、ホテルへの行き方を教えてくれた。
ちなみに、ワルシャワでは街角で地図を広げる度に若い女性が助けにきてくれるので、次はどこへ行こうかな〜となんとなく地図を眺める場合に、ちょっと困った。
21:00
ホテルの近くにあるジョージア(グルジア)料理の店へ。
ガイドブックに載っていた店なのだが、「東京にロシア料理屋はあるけど、グルジア(グルジア)料理屋はなくない?」とダンナが興味津々なので入ってみた。
上の写真を見る限り、小籠包とタコスとグラタンに見える。
小籠包はヒンカリというジョージア料理だが、肉と肉汁が入っていて、小籠包そのものだった。
駅の近くにそびえ立つ文化科学宮殿、名前もなんかすごい。
左が駅で中央が駅隣接のショッピングモール。
8日目
11:00
昼間も威厳を感じさせる文化科学宮殿。
スターリンによって建設されたものであるため、ワルシャワ市民からは嫌われているとWikipediaにある:
ワルシャワ市街のランドマークとして、文化科学宮殿は当初から論争の的となった。ワルシャワ市民を始めとするポーランド国民は、文化科学宮殿をソビエト支配の象徴であると考え、この建築を嫌悪した。社会主義体制崩壊の現在に至るも、このような否定的な見方は存在しており、ポーランド人の中には、政治的見解に関係なく、文化科学宮殿がワルシャワの伝統的な景観を損ねているとして批判する人々が存在する。
ワルシャワ市民にとってはワルシャワ市民の間では、文化科学宮殿を揶揄して「北京」(略称PKiNと、ポーランド語Pekinをかけた)、 または宮殿を意味するPałacをもじって「Pajac」(パペット、操り人形の意味)のあだ名で呼ぶ者もいる。あるいはスターリンから贈与されたことから「スターリンの墓」とも呼ばれる。また、文化科学宮殿の30階のテラスは、高さ114メートルで、ワルシャワ市街が一望できる観光名所としても有名であるが、ワルシャワ子たちは、「どこに行くんだい」「文化科学宮殿だよ。あそこに行けば宮殿を見なくて済むからね」というジョークを作ってこの摩天楼を揶揄して溜飲を下げた。
とはいえ、かなり稼ぐ観光資源であるようで、長蛇の列。
並びたくないので別の時間にトライすることに。
中央駅の横のショッピングモールは屋根が独特。
いろいろ散策。クラシンスキフ庭園
奇抜な建物もちらほら。
旧市街に入ると、カラフルでメルヘンチックな雰囲気に変わる。
自撮りしたくもなるね。
ワルシャワ歴史地区の中心にあるマーケットプレイス(市場広場)
ワルシャワ歴史地区が世界遺産に登録されるまでのストーリーが好きで、ぜひ一度訪れてみたいと思っていたが、あまりに景観が美しく整っていて、ディズニーシー(ミラコスタ)っぽくもあった。
以下ポーランド政府観光局サイトから抜粋:
ポーランドは第二次世界大戦でナチス・ドイツの侵攻を受けます。1939年には美しい王宮が空襲を受けるなど被害を受けていましたが、壊滅的な悲劇は1944年に起こりました。この年、ワルシャワでは暴力と迫害に耐えかねた市民たちが立ち上がり、「ワル シャワ蜂起」を起こしたのです。しかし2ヶ月の後、約20万人の犠牲者を出し全滅、ナチス・ドイツの爆撃と火炎放射による破壊活動によってワルシャワの街の80パーセント以上が瓦礫と化してしまいました。そして蜂起の最後の砦となっていた旧市街一帯は、最も徹底的に破壊しつくされたのです。
しかし、戦後、ワルシャワ市民たちは旧市街の街並を昔の姿のままに再建すること を決意します。実は市民たちは建築科の学生を中心に、戦前や戦時中危険を承知で市街の隅々に至るまで入念なスケッチを残していたのです。市民たちは亡くなった家族や仲間への想い、愛国心を胸に、スケッチや歴史的絵画などを手がかりに、跡形も無く瓦礫の山となってしまった一つ一つの建物を「レンガの割れ目一つに至るまで」忠実に再現したのでした。再建作業には建築家や修復の専門家だけでなく、ワルシャワの多くの 一般市民が参加し、戦後何年もの時間をかけて驚くほど丹念に進められました。この努力は見事に成功を収め、戦前と寸分たがわぬワルシャワの旧市街が蘇ったのです。
ですから、今日我々が見るワルシャワ旧市街はまるで中世の街並そのものですが、実際は戦後わずか数十年の歴史しか持っていません。1980年、ユネスコは街自体の歴史的価値ではなくこうした「街の復興にかける市民の不屈の熱意」を評価し、ワルシャワを世界遺産に登録することを決定したのです。
再建活動が最も精力的に行われていたのは1948年から1953年までだそうだ。
『「レンガの割れ目一つに至るまで」忠実に再現した』と聞いて、「これひび割れは?」「この壁の崩れてる部分は?」等とダンナと建物のダメージに注視してみていたのだが、復元から既に60年以上経っているため、再現なのか経年劣化なのかはよくわからないのであった。
14:30
マーケットプレイスのレストランで建物を眺めながら遅いランチ。
ジュレックというポーランドの伝統料理。器にしているパンも食べられる。
食事は外のパラソルの下でいただいたのだが、レストランの中もとても素敵だった。
ポーランドは冬が長いから、外で食事ができるのは短い期間なのだろう。
こちらはワルシャワのバルバカン。円の部分がクラクフのものより小ぶりで可愛らしい。
旧市街は土産物屋も多く、ウィンドーショッピング。
昨今日本でも人気のポーランド食器もたくさん売っていた。
プーさんの偽物のようなものが売られている。
あ、こちらもにも。
15:30
旧王宮前の広場。
右のピンクの建物が旧王宮。(プーさんがいると余計ディズニーシーっぽい…)
旧王宮前。
旧王宮の見学を終え、外へ出る。
小さなベーグルのようなものに紐が通っていてそのまま持ち運べるお菓子?
すごく気になったがあまり美味しそうに見えなかったため買わなかったが、食べてみればよかった。
18:30
昼前に長蛇の列だった文化科学宮殿へ。列はかなり短くなっていたが、エレベーターが貧弱なのか人数制限があるのか、15分程待たされた。
どこまでも続く平野。ポーランドとは「平原の国」という意味だそうだが、本当に平らだ。
旧市街の茶色い屋根のエリアと、現代的な建物、両方見渡せる。
また繁華街へ向かい、
20:15
ポーランド料理のお店へ。スタッフがそれっぽい衣装を着ている。
ロスウというチキンスープにヌードルが入ったもの。
ビゴスという肉とザワークラウトなどの煮込み料理。ザワークラウトの酸味が効いている。
ピロギという餃子的なもの。水餃子が多いようだが、こちらは焼き。人気はチーズ入りらしい。
いずれも割と優しい味で、日本人にも合うと思う。
翌日は帰国日だが、この夜ダンナが発熱し、ダウン。
9日目
ダンナが元気であれば、日曜なので早朝の蚤の市にでも行こうかと思っていたのだが、ゆっくり過ごす。
10:30
体調不良もあり、珍しくリッチにタクシーで空港へ向かう。といっても1000円ちょっと(地下鉄だと120円くらい)。
ワルシャワのラウンジはおしゃれな感じで空いていた。
朝から1人でビール。
12:45
ワルシャワ発。行きはKLMだったが、帰りはエールフランス。
12:45
パリ発。
エールフランスはなぜか無料で広めのシートプラス席が取れた。ワインだけでなくエコノミーでシャンパンが飲めることにフランスのプライドを感じる。
11.5時間のフライトで、羽田着は翌日の12:15 。さすがに疲れた。年齢とともに長距離フライトがきつくなることを実感。